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大阪家庭裁判所 昭和59年(少)12239号 決定

少年 Y・S(昭四三・一二・二三生)

主文

少年を中等少年院に送致する。

押収してある釘抜付金づち一本(昭和五九年押第一三八七号の二五)を没取する。

理由

(非行に至る経緯)

少年・A(昭和四四年一月一九日生)・B(昭和四三年七月一二日生)は昭和五九年四月以降、大阪市○○区○○×丁目××番××号○○高等学校普通科一年五組に在学していて座席も常に近接していた。Bは、一学期・二学期を通じて学級委員長であつたが、同年九月以降、同級生のC(昭和四四年一月八日生)らと一緒になつて少年及びAに対し、理由なく多数回にわたり、指で手首を強打するシツペや平手で顔面を殴打するビンタ・コンパチ等の暴行をし、また級友にけんかを仕掛けさせたり、授業中に突拍子もない発言をさせて授業妨害を強要するなど、種々のいじめ行為を繰り返す様になつた。同年一〇月に入り、Bらのいじめの程度は益々昂じて、ゲンコと称して手拳による頭部の殴打やケツパンと称してビニール製バツトで尻を強打する暴行などを執拗に繰り返し、Aと無理やり殴り合いをさせ、ナンパ・検問と称して女子生徒への交際申込をさせ、同月一三日には校外での自転車盗を強要するなどした。特に中間試験終了後の同月二二日から二四日にかけては連日、授業中等に教室内で級友の覚知するなか、嫌がる少年に対して自慰行為をすることを強要し、同月二四日には教室内で級友の面前で陰茎を露出して廻ることを強要するなど、少年の人格を著しく傷つけるいじめ行為にまで達したため、少年の屈辱感及びいじめの首謀者であるBに対する憎悪は極限に達した。しかしながら少年はそれまでにBから「中学で番長やつた。」、いじめられていることを両親や教師に告げ口したら「お前の家に火をつけるぞ。」と脅迫され、また、いじめの際の態度に威圧されて同人を恐れていたため、両親や教師に窮状を訴えることはできず、また級友も同人に対し有効に注意することができなかつた。そのため、少年は、同月二四日、「このままではいかん、何とかしなければ高校三年間みじめな思いをする、Bを殺る以外、Bから逃れられない。」と考え、いじめの窮状から逃れるためには同人を殺害するしかないと考えるに到り、以後、その機会を窺つていたがその後も担任教師がCらの暴行に気付き、一部注意をしたものの、Bが中心となつて少年らに対し手拳による殴打やタバコの強要等のいじめ行為を続けていた。

(非行事実)

少年は、昭和五九年一〇月三一日午後三時三〇分ころ、Bからバイクの講習会が終るまで待つよう命じられて、高校の教室内に一人で残つていた際に、翌一一月一日は高校の創立記念日で休みだが、従前からBに、当日は同人と少年とAの三人だけで自転車盗をするよう強要されていたため、翌日がAを説得してBを殺害する機会であると考え付き、同日夜、自宅で一人で殺害計画を練り、AにBを油断させた隙に、自転車を盗むため用意するよう言われていた金づちで同人の頭を強打して気絶させ、Aと二人して紐で石の重しを付けて川に投げ込み同人を殺害しようと考え、計画実現には、Aの加勢が必要なため、同日午後九時ころAに、翌日は予定より早く会いたい旨電話連絡し、同年一一月一日午前七時三〇分ころ起床し、自宅で自転車を盗むためのドライバー・クリツパーや、凶器となる金づち・紐・ハサミ・週刊紙(エロ本)・スカート等を用意して、同日午前九時三〇分ころ、京阪○○駅でAと会い同日午前一〇時三〇分ころ、大阪市○区○○の○○橋付近の公園内で、Aに対し前記殺害計画を打ち明けて直ちに賛同を得て、ここに少年とAはBを殺害することを共謀の上、二人で殺害予定場所を下見し、同日午後にはBを油断させるために命じられた通り自転車盗をするなどして、同日午後七時四〇分ころ、大阪市○区○○橋×丁目×番×号先○川(旧○川)右岸、○○公園にBを誘い出し、少年らが事前に盗んでおいた自転車に乗り先頭を走つていた同人の注意を、Aにおいて対岸の○○のホテル街に引き付けた隙に、少年において所携の釘抜付金づち(鉄製、柄に黒色ゴム付長さ約三三・五センチメートル、昭和五九年押第一三八七号の二五)で、いきなりその後頭部を一回強打し、「痛い、何するねん」と必死に逃げ出した同人を追跡して共同して組み伏せ、「助けてくれ、もういじめへん」と哀願する同人の頭部及び顔面を交互に前記金づちで合計八〇数回にわたり強打し、更に少年において反撃を封じるための目潰しとしてその両眼を五、六回強打するなどし、よつて同人に頭部打撲傷約七四か所、顔面打撲傷約一〇か所、頭皮下出血、頭蓋骨骨折、硬膜破綻、脳挫傷、クモ膜下出血、脳浮腫、左眼部挫滅、全身打撲擦過傷等の頻死の傷害を負わせ、更に前記受傷により仮死状態となつた同人を同所から南へ約八〇メートル離れた同公園内、○川右岸岸壁まで共同して引きずつて行き、同日午後八時三〇分ころ、引きずられたため着衣が脱げパンツと靴下だけになつた同人を共同して○川に投げ込み、よつてB(当時一六歳)をその頃同所付近の○川河川内で溺死させて殺害したものである。

(法令の適用)

非行事実につき 刑法六〇条、一九九条

(処遇の理由)

少年は、実父Y・J(大正一四年四月一日生)・実母Y・K子(昭和八年三月一五日生)の二男として大阪市で出生し、本件当時、長姉は既に婚姻して他に居住していたが、少年は実父母・兄・次姉・弟と同居しており、両親は住居地で駐車場を経営し勤労意欲に富み真面目で、家族相互に異和感はなかつた。しかしながら、両親が家業で多忙であり、また少年らと別棟に居住していたこともあり、少年と十分に話しをする時間が少なかつたことや、両親の無駄を排し出費を抑え、勤労一筋の価値感が、未熟な少年に危機場面における思考の幅や柔軟性を培い得なかつた面があり、少年は、今回のいじめの被害を事前に保護者に一切告げずに、自分のみで解決することを考え、また、保護者も、事件後警察の捜査が及ぶまで、少年のいじめの被害や非行につき、全く気付いていなかつた。

少年は昭和五六年三月に大阪市立小学校を卒業し、昭和五九年三月に同市立中学校を卒業したが、住居地が都心部で児童数が少なかつたため、小学校は一学年一学級約四五人を主とした小規模校であり、中学校も一学年四学級約一五〇人であつた。小学・中学校を通じて出席状況は良好で、両親は、少年を手がかからぬ子だが、気が弱い所があり、自分の意見をはつきり述べられない面があると感じていたが、学校では明るく、素直でひようきん、真面目、人に好かれるとの良い評価を受けていて、現に小学生当時は友人とよく遊び、毎日剣道を習い、中学生当時も殆んど毎晩、塾通いをし、休みには家業を良く手伝い新聞配達のアルバイトをするなど真面目な生活を送つていた。成績は中学三年までずつと中の下であつたため、専願で前記高校を受験したが、高校は男子校で全校生徒数は一年生が約一二〇〇人、うち普通科は七学級各組平均五〇人で、同じ中学から進学した者はいなかつた。少年は一学期当初に軟式野球部に入部したが、選手には到底なれないと七月初めに退部し、そのころから同級の被害者BやAと親しくなり、夏休み終了時までは被害者と良好な関係を保つていた。なお高校では、少年は学級内で余り目立たない存在で、少し気が弱く、独立心が弱いが、責任感もあり真面目で、ごく普通の生徒であり、冷たい感じはないとの評価を受けていて、友人は多い方でなく、深い交際をする友人もいなかつた。また、少年は本件時までに、今回の様ないじめ・いじめられ行為の経験はなかつた。

一方、被害者は現在住居地で寿司店を経営する両親の長男として出生し、弟妹がいるが、小学・中学校を通じて出席状況は良好で、小学生当時は目立たずおとなしかつたが、中学入学後は体格が良く柔道を習つて初段になり、早熟で、性格は温厚で人当たりも良く正義感が強く、常にリーダー的存在で多数生徒の支持を受けて生徒会会長等を務め、成績は普通で保護者も教育熱心であり、高校入学後も、本人は、大学進学の上、警察官になることを希望していて、教師からは中学当時と同様の良い評価を受けていたが、高校の柔道部には実力不足でなじめず退部し、二学期以降は、周囲の期待に反し前記のとおりのいじめ行為を行なうに至つた。なお、少年・A・Bともにこれまで非行歴・補導歴はなく、少年らの本件非行当時の体格及び高校の学業成績(席次)は、次表のとおりであつた。

身重

cm

体重

kg

一学期中間試験

五一番中

一学期末試験

五〇番中

二学期中間試験

五一番中

少年

一七五

六一

四一番

四〇番

四一番

一六八

五五

三〇番

三〇番

二二番

一七〇

九四

二六番

二〇番

一六番

本件非行は、被害者にも二学期に入り少年らを執拗にいじめる等の落度があり、そのいじめ行為が非行の誘因となつたことは明らかだが、そのいじめの期間は約二か月間であり、少年らは、被害者に対し第三者による唯一度の内省改善の機会を与える事なく、またその努力もすることなく、事前に準備した金づちを凶器として用い、油断している被害者を計画的にいわばだまし打ち的に襲い「助けてくれ、もういじめへん」と哀願する被害者の頭部等を強打し、更に眼も挫滅させた上、頻死の被害者を河川内に投げ込み、何物にも換え難い人命を奪つたものであり、その結果は重大で態樣は悪質であり、被害者の無念さは察するに余りあり、一六歳に成長した息子を失つた被害者の遺族の悲しみは大きく、高校生による同級生殺人事件として社会に与えた衝撃は大で、少年らの社会的責任は極めで大きい。

少年は、本件殺害行為を事前に計画し、Aを同調させた上、自らが率先しで積極的にそれを実行しているのであり、その責任はAより大きい。他方、高校の授業中にも及ぶ陰湿ないじめ行為を高校側が事前に覚知しておらず、級友らも解決できず、少年らの保護者も少年らの深刻ないじめの被害に気付かず、被害者の保護者も、いじめの実体に気付かなかつた等の問題点もあるが、義務教育を終了した高校一年生である少年らにとつては、当時教師・保護者に相談するなど他に採るべき解決方法は十分に存したと認めることができる。

鑑別結果通知書によれば、少年は普通域の知能(IQ=一〇〇、WAIS一六歳水準換算)を有するが、精神の発達は未熟で、紋切り型の思考をし勝ちであり、自己イメージが明るく、周囲に無関心なため、通常の外圧に対して情緒的なしこりは余り残らないが、自己の核心に触れる外圧に対しては敏感に反応して不安や緊張を高めながら、かつ、それを抑圧する傾向があり、そのため、恨みや報復心が強く残り持続し易く、人格的には、他への配慮についての鈍感さと自己の内的状態への過敏さが共存し、乏しい共感性と強い猜疑心等を特徴とする分裂気質を基調に、乏しい融通性や強い固執性等を特徴とする粘着気質が併存すると認められる。

少年は被害者らのいじめの行為に対して、両親が心配すると思い登校を拒否することは考えず、また逃げることになるとして自殺することも考えておらず、本件非行は高校での自己の耐性を越えたいじめ行為に対する過剰な情動反応としての攻撃だけでなく、いわば確信的とも言える報復行動の面があり、非行態様の残忍さや非行の重大性への認識の乏しさ、非行後の罪障感に乏しい状況等からみて、少年は冷情性を有すると認められ、非行時の精神状態が問題となるが、本件非行は共犯事件であり、少年は非行につき明確な記憶を有することや、非行時、周囲に沈着に対応し、また共犯少年と発覚を免れるため通謀していること等からみて、意識障害や幻覚妄想等の異常体験はなかつたと考えることができ、冷情性は、少年の被害者に対する恨みの深さや、非力な少年が強力で恐れている被害者を確実に殺害することを意図したこと、及び少年の未熟さに主に起因しているものと認められ、少年の非行時の精神障害を窺うことはできない。

以上のような事案の重大性や、少年は現在一六歳に達していること等を考慮すると、少年には刑事責任を追及する余地もあるが、他方、非行時少年は一五歳であり、少年の人格面での未熟さが本件非行の一因であること、非行後、罪障感の乏しさが認められたが、当裁判所の調査及び三回の審判過程において非行の重大性に気付き始め、また、保護者の少年の更生を願う真摯な姿に接して、少年は現在厳しい反省の態度を示していること等の情状を総合考慮すると、少年は現在、矯正教育による可塑性を十分有していると認めることができ、少年につき今回は保護処分を選択するのが相当であると判断する。

従つて、以上によれば、少年の将来の健全な育成を期するうえで要保護性が大きいところ、本件非行の内容・少年の性格・保護者の監護能力等から、社会内処遇は不適当であり、むしろ施設に収容の上、規律正しい集団生活の中で、自己の犯した非行事実の重大性を厳しく反省し性格を改善して、社会規範に対する正しい考え方を養い、同種非行の再発を防ぐため、矯正教育を施すことが相当であり、少年を中等少年院に送致することとする。

よつて、少年法二四条一項三号、少年審判規則三七条一項、少年院法二条を適用するとともに、押収してある釘抜付金づち一本(昭和五九年押第一三八七号の二五)は前記非行事実の行為に供した物であり、少年以外の者に属しないから、少年法二四条の二第一項二号、二項本文を適用して没取することとし、主文のとおり決定する。

(裁判官 水谷正俊)

〔参考〕少年調査票〈省略〉

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